昔話 1

1950~60年代,アメリカ東海岸には、大使館や銀行,大企業の支店のほかは、日本人の居住者はほとんど居ませんでした。なにしろ、婦人会や教会の集まりによばれ日本の話をしてくれと頼まれたときの質問は,『日本には電気がありますか?』とか、『木と紙の家で寒くないですか?』などというものだったのです。私の住んでいたところはワシントンとニューヨークの中間で、ジャズの歌詞にもでてくるけっこう大都市でしたが
そんな調子。ワシントンは車で1時間、桜祭りのころは、友人にたのまれて着物を着てポトマック河畔に行きました。するとたくさんのひとが集まって、たちまち撮影会になってしまうのです。
私は州立の美術大学の学生で、グラフィックとファッションアートを専攻していました。日本人は、若く見られるので,当時はやっていたポニーテールにホットパンツで歩いていると、15~6歳にみえるらしく、中学生くらいの男の子たちに追っかけられることがよくありました。
戦後間もないころなのに、アメリカ人はとても親切で,英語を教えてくれたり,というより。教えたがるひとがたくさんいて、クリスマスには泊まりがけで招いてくれたりで、3ヶ月もするとほとんど不自由なくはなせるようになりました。
アメリカ人はまたパーティー好きで、市が主催するようなものは新聞に乗ります。私が出席したのはミュージアムボール、州立美術館で開かれたフォーマルで、翌朝の新聞には、社交界のご夫人がたの写真と衣装の説明がのるのです。私が中振り袖を着ていたので、めずらしかったのでしょう、事細かに衣装の説明がのっていました。
ドルは360円固定で,日本から持ち出せるドルも100ドルくらいで生活はけっこうぎりぎりでした。

画像


ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

面白い

この記事へのコメント

kaoruko
2009年07月31日 08:54
ブログ開設おめでとうございます。よき時代のアメリカのお話、是非続けてください。楽しみにしております。先ずは HAPPY BIRTHDAY! 
プルメリア
2009年10月13日 09:30
ブログ開設をなさるとはジェシカおば様はいつも前向きで感心しております。
長いお付き合いでもアメリカ生活は謎めいていたので、とても興味をもって読ませていただきました。
ロマンティックな思い出話しも(笑)期待しております。

この記事へのトラックバック